アジャセ王の改悟(令和元年9月法話)
昔、王舎城にアジャセ王といって生まれつき凶暴で、好んでむごたらしい事をなし、自分の心に反する者には怒り恨み、
仏教にいう強欲で、いかりと愚癡という3つの悪い煩悩を持っていた。
従って、そんな性格であったから、現在の世の中だけを見て、明日の事など一向に考えないで、ただ現在の快楽だけを追いまわして、
周囲の善人を遠ざけ、おべんちゃらを使う悪人を重用するという風であった。
現世の快楽のためにめくらになっているため、前には何の罪も欠点もない実の父ビンバシャラ王を殺したほどであるが、
この不孝の罪は出来物の報いとなって現れ、その出来物の臭気と穢れのために、側へ近づくものもないほどであった。
しかし王は、自分が道に背いた暴悪の限りを尽くした報いと観念して、
生きていてさえ、これほどの苦しみを受けるのであるから、やがて死ねば地獄の苦しみを受けて、寒さ暑さの苦しみに悩まされることであろうと、
この頃になってやっと、ざんげの心も手伝って、未来の悲惨な報いに、ひとり心を痛めることもしばしばであった。
母のイダイケ夫人は、不孝の子を憎みながらも、色々の薬を王の出来物に塗って、1日も早く全快するよう願うのであった。
しかし、薬を塗れば塗るほど出来物は悪くなるばかりである。
そこである時、アジャセ王は母に向かって言った。
「私の出来物は心から出たもので、肉体から出たものではありません。
もし世に治療が出来るという者があっても、心から出たこの出来物は治るはずがありません」
この時、大臣が来て次のように言った。
「大王よ、あまりご心配なさってはなりません。
憂いに悩み苦しめば、憂いはますます増します。
人が、眠りを喜べば眠りがいよいよ増えるように、貪、淫、嗜酒もまた同じ。
ただ今、大王は地獄の事を仰せになりましたが、いったい誰が地獄という処へ行ったという者が、大王にお話しした事があるのでございましょうか。
地獄などとは、世間のこざかしい者の説でありましょう。
また、名医がおっても私の心身の病気だけは治せないとの仰せでありますが、それも如何かと存じます。
ただ今、大名医のフランナという者が、王舎城の中に来ております。
彼は清浄の行を修め、常に無数の人々のために、最上の悟りの道を演説しております。
そして常にこう申しております。
世の中には善悪の業はない。また善悪の報いもない。と申しております。
この大名医に命じて、心身の病を治療させてはいかがかと存じます」と。(つづく)
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
私達は、つまずいて初めて気がつくことがあります。
そして王様であろうが、誰であろうが、同じ人間。悩みはあります。
その時、正しい解決方法を得ることが出来るかどうかで、その後が決まってきます。
母親の愛情は尊く有難いですが、結果を伴うとは限りません。
また身近にいる人(ここでは大臣)の言うことが正しいとは限りません。
ここでは全部の大臣の提案を紹介出来ませんが、アジャセ王がどのように判断するか、次回に続きます。
色々なことを私達に投げかけて下さっているお話だと思います。
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