(続)雪山童子物語(令和元年8月法話)
悟りを開くために修行をしている雪山童子の覚悟のほどを確かめるべく、帝釈天が殺人鬼の姿になって現れ、仏の教えを半分説いた。
残りの半分を教えてくれるように嘆願する雪山童子であった。
☆ ☆
「大バラモンよ。お前のすぐれた賢さには恐れ入った。
しかしお前は自分のことのみを考えていては駄目だよ。
私は、飢え疲れて、もう半偈を説く気力もないのだ。もう何も言ってくれるな」
「大士よ。あなたは何を食べたいと言われるのですか」
「そのようなことを聞いてくれるな。
お前と私の二人の中で、私の口から言えないではないか。
人を恐れさすような、そんな恐ろしいことを」
「人を恐れさすと言われますが、ここには私の外には何者もいません。
私は何も恐れはしません。
一体、何を食べたいと言われるのか。あなたの口から言って下さい」
「それなら言うが、実は私の食べ物は人間の肉なのだ。
そして、飲み物は人間の生き血だ。
私はまことに徳が薄いので、ただ人間の血や肉だけを飲食しているのだ。
しかし世上の人々は、福徳をそなえている上に、色々と天の守護を受けているので、
自分の力では、殺して食べることが出来ない。
今日も終日食べ物を探して歩いていたが、未だに手に入らないので飢えと渇きに苦しんでいるのだ」
「大士よ。話はよく分かりました。
後の半偈を説いて下さい。
後の半偈を聞くことが出来ましたならば、私はこの肉体をあなたに差し上げましょう。
たとえ天寿をまっとうしても、死んだ私の肉体は獣などに食われてしまうでしょう。
そのために、何の福徳をも報いられるわけではありません。
幸い、悟りの道を求めるために、汚れのこの身を捨てて、穢れない清い身に変えたいと存じます」
「では何か。後のわずかな8字のために、お前は肉体を捨てるというのか。
しかし、そんなことを言っても誰も信用はするまい」
「あなたは何という浅はかなお方でしょう。
瓦の器を捨てて、七宝を得ることが出来れば、誰でも瓦を喜んで捨てるだろうに。
私は汚れある身を捨てて、仏身を得ようと思っているのです。
それなのに、あなたは私を信用なされない。
立派な証人を立ててみせましょう」
「お前がそのように言うなら信用しよう。
お前が自分の肉体をこの私に差し出すというのなら、
後の半偈を説いてやろう」
雪山童子は羅刹の言葉を聞いて、心は求道の希望に燃えた。
そこで彼は自分の着ている衣服を脱いで法座を設け、
「和上よ、どうかこの座におつき下さい」
と、うやうやしく羅刹を請じてその上に座らせ、
彼は合掌してひざまずき、後の半偈を求めた。
「どうか和上よ、私のために、後の半偈をお説きください」
そこで羅刹はおごそかに半偈を説いた。
「生滅を滅しおわりて、寂滅を楽となす」
そして羅刹は、
「大バラモンよ、お前はすでに偈文を全部を聞いたのだ。
お前の願いは、これで達せられたのだ。
さあ、そこで約束通り、私にその肉体を施してくれまいか」
と羅刹はせきたてた。
雪山童子は、この半偈を聞いて限りない喜びを感じた。
「たしかに、生滅無常の世にあって、生と滅との対立に漂わされている限り、
何をどうしても、所詮は真の安心や、真の満足を得られるわけはない。
生滅を滅しおわりて、
そうだ。生滅の二つを超えて、生にも滅にも煩わされない絶対的な境地こそ真実の楽しみであり、真の悟りである」と。
雪山童子はもとより覚悟の上のことであるから、
肉体の供養に何の躊躇も要しないが、
自分がこのまま死んでしまっては、自分は良いとしても、他の世上の人々のためにはならぬ。
何とかしてこの
『諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽』の1偈を永く世上に伝えたいと考えて、
その辺の石といわず、壁といわず、木や道に、手あたり次第に、この偈文を書きとどめ、
それから死後に身体の露出を恐れて、さらに衣服をつけて高い木の上に登った。
樹神には何のために、彼が木に登ったのか分からなかった。
「お前はどうしようというのだ」
「私はこの体を捨てて、偈に報じるのだ」
「たった1偈の16字のためにか。この偈にそれほどの価値があるというのか」
「それはそれは尊い偈です。たった16字ではありますが、
前世、現世、来世の3世を通じての諸仏の教えだ。
私はこの法のために死ぬのだ。
利欲や名誉や財産のためではなく、
また帝釈天や大梵天王になりたいためでもない。
ただ期するところは、この世に生きる生きとし生けるもの全てのものに利益したいと思う一念で、
ただいま、ここに身を捨てるのです」
彼は羅刹との約束によって、半偈のために、木の上から地上へと身を投げた。
ところが、彼の肉体が地上に落ちない前に、途上でやんわりと、これを受け止めたものがあった。
それはあの悪鬼の恐ろしい羅刹が、もとの帝釈天に姿を戻されて、
仏の心をもって、これを受け止められ、彼を静かに地上に置かれた。
そして、恭しくその前に合掌して、
「ああ、真の菩薩とはあなたのことです。
世の多くの人々の、迷いの中にあって悟りを得ない闇の中の人達に、
仏の正しい教えで導く松明をともされる外に、何の求めもなされない菩薩を、
私が苦しめたのも、言うなれば仏を愛すればこそであります。
どうか私の懺悔をお聞き下さいませ。
そして未来のお悟りなされた暁には、この私をお救い願わしゅう存じます」
この半偈のために身を捨てて苦行求道された雪山童子というのは、今のお釈迦様である。
この半偈のために、身命を捧げようとされた態度こそ、
およそ人に道を伝えようとする者の常に学ばねばならぬ態度である、という霊験あらたかな話である。
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
このお話は、仏教の中では有名なお話です。
仏の真実の教えを聞くことが、いかに大変であるか、
悟りを開くのが、いかに大変であるか、
仏に成る(成仏)が、いかに大変であるか。
そのことを学ぶお話です。
そして今、この仏教に会えていることを喜び、学び、実践して幸せになって頂きたいと願っています。
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