雪山童子物語(令和元年7月法話)
昔、雪山(せっせん)に、雪山童子(せっせんどうじ)と呼ばれる求道者があった。
彼は人々の為になることなら、どんな苦労も厭わないで、
自分自身を犠牲にして、いろいろの苦行をした。
そんな風であったから、あらゆる事情に通じて、人生の表や裏のことは見抜いていた。
それ故、生死の苦悩とはどんなものか、をよく知っていたから、
例えどんな宝があっても、そんなものには目もくれず、無関心であった。
彼は道を求めるために、財産も、家族も、全てのものを捨てたばかりか、
時には、自分の手足をも捨てる覚悟であった。
また彼はこの世を捨てて、天上の世界を願うのでなく、
ただひたすらに道を求め、悟りを開いて、
生きとし生けるものと共に真の楽しみを味わいたいと願うのであった。
しかし帝釈天は、雪山童子の法を求める態度について、その決心の程度に疑いを持っていた。
帝釈天が思うには、
「世の中に仏が出れば、全ての悩み事を除き、
多くの人々もそれによって限りない幸福を得ることが出来るであろう。
しかし事実に於いては、
道を求める人はあっても、仏に成りえるものは絶対にないと言ってよいくらいである。
善心を起こす者は限りなくあるけれど、
僅かな障害に出会うと、すぐに善心が消えて、元の心になってしまうのが普通である。
ちょうど水中の月が、水の動くままに揺れ動くように。
名画の成るは難しいが、破るのはたやすいように、
善心もまた、起こすのは難しく、しかし破れやすいものである。
また鎧や杖を持って身を固め、賊の討伐に向かっても、敵陣に臨むと恐怖に駆られて退却するものだ。
世間の人々も堅い決心をもって善心を起こしたと思っているが、生と死の苦しい境に出会うと、
その善心はいつしか消えてなくなっているというのが、よくある例である。
だから雪山童子の苦行といっても、今は何の苦悩もなく、清浄の行に精進しているけれど、信じることが出来ない。
ひとつ雪山童子の心を試して、果たして悟りの道に耐えうるかどうかを知ろう。
また、戒めを保つことに厳しくても、その人に本当の知恵がなければ結局なにもならない。
福と知恵というものは、車の両輪のようなものである。
また、親魚が胎内に無数の子を持っていても、それが一人前の魚になるのは極めて少ない。
それと同様に善心を起こす人は数えきれないほど多いが、完成さす人はほとんど少ないものである。
純金は3種の試験を経て真偽が定められると言われる。
焼く、打つ、磨くことが、それである。
雪山童子にも、3種の方法で試してみよう」
帝釈天は、見るも恐ろしい殺人鬼の羅刹(らせつ)に身を変えて、天上から雪山へ下りて来た。
そして苦行しながら求道している雪山童子の近くまでやって来て、
「諸行は無常なり。これ生滅の法なり」と過去世の仏が説いた偈文を声高らかに説いた。
雪山童子は、この半偈を聞いて心の喜びを抑えることが出来なかった。
たしかに全てのものは無常である。もの皆、生滅しないものはない。
これこそ自分が求めていた道ではないか。
「ああ、何という天の声であろうか」と思い、急いで立ち上がり、
「只今の半偈の文は、誰が説かれましたか」と、あたりを見渡したが羅刹の外には誰もいない。
そこで雪山童子は考えた。
誰が半偈を説いて、自分の心の中に悟りの光を投げ、わが心の中に蓮華の花のつぼみを開かせたのは誰であろうか。
ここには羅刹しかいないようだが、このような有り難いことを言うはずがない。
しかしこの羅刹が過去において、仏様の半偈を聞いたことがないとは言われないだろうと考え、
「大士よ。あなたは何処で、過去の仏の説かれた半偈を得られましたか」
すると羅刹は、
「大バラモンよ。そんなことは聞いても無駄だ。私は飢えと渇きのために心が乱れて、でたらめな文句を言ったのだ」
「大士よ、偈文の全文を説いて下されば、私は終身あなたの弟子になります。
私は半偈を聞いただけではありますが、心から感謝しているのです。
どうか、あとの半偈をお説きくださいませ」と。
(続く)(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
この雪山童子はお釈迦様の前世のお姿と言われます。
お釈迦様が悟りを開かれる前のお姿です。
そして、ここでは帝釈天の言葉に留意したいと思います。
仏に成りえる者は皆無に等しいと。
仏様とのご縁に会えれば、幸福になることが出来ると。
また、善心を起こすことも難しいが、善心を持ち届けることはなお困難であると。
戒(信仰)を保ちながら、知恵も修めることが大事であると。
物語を有り難く読みながらも、自分にとって勉強になる点を学んで頂ければ有難いと思います。
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