蓮池問答(令和元年6月法話)
昔、お釈迦様が舎衛国の祇園精舎におられた時のことである。
コウサラ国の、ある林の中で1人の修行者が眼病にかかった。
医者に診察してもらうと、
「蓮池の側にいて、ハスの香りをかいでおれば、自然になおる」と言われ、
早速、林の近くの蓮池のほとりに座を占めて、
ハドマ(紅蓮)の花の得も言われぬ芳しい香りを、風のままに嗅いでいた。
すると、この蓮池の主である神が怒り出して、修行者に言うには、
「私に一言の断りもなく、なぜ蓮の香りをかぐのだ。
お前は盗人だ」
修行者はこれに答えて言った。
「傷めもしなければ、とりもせず、遠くで香りをかいでいる。
それが、何ゆえ盗人だ」
すると、蓮池の主は、
「求めもしなければ、許しも受けず、
黙って匂いをかいでいる。
それがほんとの盗人だ」
こうして二人が問答している最中に、一人の男がずかずかと池の中に入り込み、
池の中をかき回し、蓮の花や根を山の如く抱え込み、
そのまま黙って行ってしまった。
しかし池の主は、この狼藉に対して一言のいやみも言わない。
そこで修行者は、
「花をむしり、根を抜いた、今の男をとがめずに、
何ゆえ、私をとがめるのか」
池の主は答えて言った。
「黒い衣はよごれても、人はさほどに思わない。
白い衣がよごれれば、人はすぐさま目をつける。
今の男は悪人で、黒い衣がよごれたよう。
お前は浄い善人だ、少しの汚れもすぐ分かる」
修行者はこれを聞いて、たいそう喜び、
「有難う、有難う、私のための善智識(ぜんちしき)。
どうかいつまでも私のために、教えの言葉を聞かしておくれ」
すると池の主は答えて言った。
「私はお前の奴隷じゃない。
お前の側についていて、お前に教えるいわれはない。
お前のことは、お前がおやり」
修行者は、池の主の言葉を聞いて、深くよろこび、
林の中に入って、修行に専念した結果、
遂に大いなる悟りを開いたということである。
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
疑問点を質問するからこそ、その答えが返ってくる。質問することの大事さを教えて頂きました。
しかし、いつまでも質問ばかりしていてはいけないとも。
この話の中で、間違っていけないことは、
悪人は、何をしても神様に許されているということではありません。
神様が言われないだけです。
悪事は、その報いが将来自分に返ってきます。
ですから、悪事は避けることが肝要です。
また、学ぶべきは、事を為す前には神様にお許しを頂くこと。
そして、その事が終わったならば、神様にお礼をすること。
思い通りに事が運んだ時でも、運ばなかった時でも、いずれもお礼は大事です。
これは、人間の世界でも同様です。
神様だから仏様だからと、特別な目で(自分の都合の良いように)見てはいけないのだと思います。
そして、神仏は私達の奴隷ではないと。
神仏に頼る時はあっても構いませんが、
何から何まで「神だより」「仏だより」では駄目だということです。
正しい教えを学んで、それを実践せよ。
ということでしょうか。
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