蛇の死骸の髪飾り・続(令和元年5月法話)
魔王は、最後の望みを持って梵天王の所に行き、泣きついてお願いした。
しかし、梵天王は、
「そりゃあ、仏様のお弟子のなさること。私共のような力の弱い者にはどうしようもありません。
その3つの死骸の髪飾りを解くことは出来ません。
その縄を解こうとするのは、ハスの糸を須弥山に掛けて動かそうとするものです」
「では、梵天という天上界で最上のあなたでさえ駄目というのですか。
いったい、誰に頼めば良いというのですか」
と、先ほどの勢いはどこへやら、魔王は泣き出しそう言った。
梵天王は、
「それは、ウバクッタ聖者に帰依して、身命をささげ、仏の教えに従うことです。
それによって、この結んだ3つの死骸を解いてもらうより外にありません」
と、ねんごろに梵天王に説き諭され、いかな魔王も反省せざるを得なかった。
魔王は、仏及びその弟子達の力の偉大さを悟るとともに、自分を懺悔せずにおれなかった。
「仏様のお力は、どうして量ることが出来ましょう。
もしも仏様が私に悩みを加えようとなさるならば、出来ない事は何もない。
しかし大慈大悲の憐みの心があるので、私ごとき者に悩みを加えられないのです。
私は迷いの中にあって、悟り得ない盲目となって、所々で仏様を悩ましました。
けれども仏様の慈悲は、どなたにも平等に与えられ、
未だかつて、私に悪口を言って怒らせたことはございませんでした」
そして魔王はさらに梵天王に諭されて、あの高慢な心も今はなく、
ウバクッタ聖者の所に行って、五体を地につけて、両膝をつけて合掌し、
聖者に自分の過去の事を懺悔した。そして、
「数限りないほど多くの悪い事をしています。
それにも拘らず、仏様のお慈悲は有難く、いまだに悪口を言って、私を辱めたことは一度もありませんでした。
それなのに、貴方はアラカンでありながら、お慈悲がなくて、天人や阿修羅の前で遠慮なく私を辱めました」
と聖者に当たるのであった。
「魔王よ。それはお前さんの大いなる愚痴というもので、知恵が足りないというより外ない。
私は声聞(しょうもん)という位であって、菩薩に比べて未だに悟りの浅い身である。それなのに仏様と比べるとは何事だ。
仏様は大慈大悲をもって、お前さんの様ないたずら者をも、退治することをなさらなかった。
しかし、声聞は仏様の様な大慈大悲が浅いから、お前さんを退治するわけだ」
「いったい、私がこんな悪い事をしても常に慈悲の心をもって、害を加えられないのは、何の因縁からでしょうか。
何か仏様に深い思し召しでもあるのでしょうか」
「それはそうだ。
実は仏様には、私にお前さんを降伏させて、仏様に対して信頼して、敬う心を起こさせようとの思し召しがあるからである。
それ故に、お前さんを地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落とさず、
また初めから一言も、お咎めもなかったのである。
そして仏様は巧みな方便をもって、お前さんが信心を起こせば、必ず悟りを得ること疑いないとお考えになったのだ」
そして続けて
「これはかいつまんでの話だが、
お前さんがもし、仏様に対して少しでも信心を起こすならば、
その信心の力で、洗い清めて、昔からしばしば為した所の悪い罪を、ことごとく消すことが出来るのである」
こう聞いた魔王は、心身ともに躍り上がって喜び、
「大慈大悲の仏様は、菩提樹の下で悟りを開かれてより涅槃に入られるまで、
その慈悲のみ心は、父母の赤子を思うように、私の過ちを根本から除いて下さいました。
何という有難いことでしょう」と言って、
仏の教えに歓喜の心を起こし、合掌礼拝して、聖者に、
「あなたは、よく私に歓喜の心を起こさせて下さいました。
これは、あなたの大恩と言わねばなりませぬ」と聖者に感謝の言葉を述べ、
さらに魔王は少しきまり悪そうに
「つい、話に身が入って忘れていましたが、
どうぞ、この首の厄介ものを解いては頂けませんか」と聖者に願った。
「ああ、そうか。しかし、それは無条件で、という訳にはいくまい。
まず堅い約束をしてからの事にしよう。
今日以降、仏の道のある限り、修行者を悩ましてはならぬことである」
魔王は「はい、仰せに従います」と。
ここに約束が立派に出来たので、聖者は魔王の首にかけた3つの死骸の縄を解いた。
魔王は、聖者を厚く礼拝して、天上に帰った。
かくして第4日目、大説教がウバクッタによって行われることになったが、
今度は魔王が天上界からさらに下って来たものの、
前のように妨害することなく、大きな声を張り上げて、全ての人々に、
「皆さん、富や楽しみをもって、人間界や天上界に生まれたいと思う者、
悟りを求めて第一の安らぎを得たいと念ずる者、
如来の大悲の説法に会わない者は、皆ことごとくウバクッタ聖者の所にお参りなさい。
そして、有難い仏の教えを聞いて、一心に修行するがよろしい」と告げた。
かくして、マツラ国の老若男女は聖者が悪魔を降伏させたと聞いて、百千万という多くの人々が雲の如く集まって来た。
すると聖者は獅子座に上がって、皆の者に応じた色々の説法をしたので、
多くの人々はシュダオンという在家での信心の位を得、
一万八千の人々はアラカンの位を得、
これより以後の仏の教化を受けた多くの人々は数えきれないほどであったということである。
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
このお話からも、それぞれに感じて頂く箇所もあろうかと思います。
私にとっては、
「かいつまんでの話だが、お前さんがもし、仏様に対して少しでも信心を起こすならば、
その信心の力で、洗い清めて、昔からしばしば為した所の悪い罪を、ことごとく消すことが出来るのである」
魔王が小躍りして喜んだ箇所です。
地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちたくはありませんから、正しい信心を心掛けたいと思います。
私達にとっての正しい信心は「菩薩行」と言われるものです。
自分のためには「悟りを求め」
自分以外の人に対して「仏の教えを伝える」
この2つを実行すること(菩薩行)で、仏様に認めて頂けるものと思います。
0コメント