蛇の死骸の髪飾り(平成31年4月法話)
昔、マツラ国のナタバタ寺という処で、ウバクッタ聖者の大説法があるという触れが全国に伝わった時のことである。
その日が来ると、有名なウバクッタ聖者が来られるということで、実に千万の人々が各地から集まって来た。
お釈迦様が説法される時の聴衆の坐法というのは、半月形の坐法である。それで、今もその例に倣って座らせた。
また仏の説法は、先ず施しについて。次に仏の教えである戒律について。
さらに四種の天の一つである善いことをして天に生まれ変わることについて。
諸仏の常法である迷いと悟りの因果関係を説いておられるので、
今もまた、その次第に倣って、迷いと悟りの因果関係を聖者は説かれたのである。
ところが、天上界の魔王がこれを見て、大いに憂い、かつ恐れて、こう考えた、
「ウバクッタ聖者はよくもこんなに多くの人々を集めたものだ。
そして聖者は、必ず我々の魔界に来るであろうと思われる人々を、我々から離して、立派に善良な者に教化してしまうに違いない。
だが、そうなっては一大事である」と。そして、
「よし、では、これから俺が出掛けて行って、大勢の者どもの心持を打ち破ってやらねばならぬ」とナタバタ寺を目指した。
かくて魔王はウバクッタ聖者の説法しておられる席に行き、
真珠や珍しい宝を雨の如く降らせて、人心をかき乱した。その為、1人として聖者の説法を聞く者はなく、
それらの宝物を取ろうとワアワア騒ぎ出した。
聖者は、いちどうの者の心をこの様にかき乱した者は誰であろうかと考えた。
そして、これは「あの魔王の仕業に違いない」と思われた。
第二日目になると、前日の倍の人々が集まって来た。
そこで聖者は仏の教えの根本について説法された。
しかし、この時も話の途中になって、例の魔王が真珠や宝物の雨を降らせて人心をかき乱して、誰一人としてその説法を聞く者がなかった。
そこで聖者は、「また、魔王の仕業に違いない」と考えられた。
第三日目には、国のほとんどの人々が集まって来た。
聖者はこの日も仏の教えを説かれた。
この時魔王はさらに、第一に真珠を、第二に金宝を、
第三に神通力で、天女と天の伎楽とを作って人心を惑わしたので、
その道に教化されていない人達は、場内こぞって目も耳も奪われて誰一人として説法に耳を貸す者はいなかった。
この様に三日間も熱心に聖者が有難い仏の教えを説いたにも関わらず、
1人としてこれに応えて教化された者はなかった。
そこで魔王は「うまくいった」と一人ほくそ笑むのであった。
聖者は木陰の下で、静かに瞑想にふけって思いを凝らし、
誰のいたずらの仕業であるか見届けようとした。
すると、聖者の頭の上にはマンジュシャゲが降って、天人が載せる華やかな髪飾りに変わったので、
聖者は「また、魔王に仕業だな」と悟られ、
「悪魔め、たびたび私の説法を乱し、仏様の正しい教えの妨げをしている。
仏様はなぜ悪魔を降伏(ごうぶく)されないのだろうか」
と、一時は仏に対して恨みもしたが、またすぐに、
「ああ、これはつまり、仏様の思し召しはこのウバクッタに、必ず悪魔を降伏させようとの思し召しであるに違いない」と。
「そうだ。降伏の時、それは今だ」と心に深く決するところがあって、聖者は立ち上がった。
やがて、聖者は三種類の死骸を集めた。
それは、蛇の死骸。犬の死骸。そして死人であった。
このいやらしい三つの死骸を、神通力でもって綺麗な髪飾りに変え、
聖者はこれ等を持って、素知らぬ顔で魔王の所に行き、
「先ほどは、私に髪飾りを下さり、厚き好意に深く感謝いたします。
今そのお返しにと思い、これを持参いたしました。どうか、これをお用い下さい」と。
魔王は大いに喜んで、「ウバクッタも神通力ではわしにはかなうまい」と自惚れ、
「では、折角の事ゆえ、戴くことにしよう」と大きな首を長々と伸ばし、その髪飾りを受け取ろうとした。
聖者は、待っていましたとばかりに、その髪飾り、実は例の死骸のうち、
蛇を魔王の首の上に結び、犬と死人とをその首の下につないだ。
魔王はいい気になって首を伸ばして、髪飾りをつけてもらって得意になっていたが、
何処からともなく、嫌な臭いがしだして来た。
ふと気がついてみると、髪飾りと思いきや、三つの腐った死骸がある。
それに、ウジ虫がうようよしている。
その臭気といったら鼻をつまんで済むといったものでなく、
はらわたにまで染入るほどであったから堪らない。
さすがの魔王も腰を抜かして驚いた。そして、こうまでしたのは何故かと、目を逆立てて、
「ウバクッタ、お前はどうして俺の首に、こんな死骸などを繋ぐのだ」と大いに腹を立てたが、
聖者は落着き払って、
「修行者が髪飾りをつけるなどということは、おかしなこと。
(悪魔がウバクッタ聖者の頭に髪飾りを載せた)
お前さんがつければよい。
そして、お前さんが一人で死骸を頭の上に結わえることは出来ないから、私が結えてあげたのだ。
だから後はお前さんの力でどうでもするがよい。
だが、今さらお前さんも、何も仏様のみ子と戦うことをしなくてもよかろう。
それとも、神通力があるならば、私の前でやってみるがよい。
それはちょうど、大海の波がヒマラヨ山に当たっても、少しもその山を動かすことの出来ぬようなものだ」
こう言われてみれば、魔王も意地からでも、この死骸を自分に力で解くことに努める外なかったが、
残念ながら、それは出来なかった。
そこで魔王は、毛を逆立てて大いに怒り、身を躍らして空に登り、
「俺は、自分で解けなくとも、諸天達がいくらでも解いてくれるから、良いわい」と憎々しげに言った。
聖者は、
「お前さんは、梵天、帝釈、毘沙門等の三十三天、四天王のえらい諸天達に頼むつもりかも知れないが、
それ等の諸天でも、とてもお前さんの縄は永く解くことは出来まい」と。
魔王はそれでも聖者の言うことを聞かず、それ等の諸天に解いてもらおうとした。
しかし、諸天は皆こう言った
「私達では駄目です。これは大聖人の為された事で、我々凡夫のとても及ぶところではありません」と。
そして最後の望みをもって梵天王の所に行き、泣きついてお願いした。(続く)
(仏教説話文学全集から)
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このお話から、私達は色々なことを学ぶことが出来ます。
今の自分を振り返りながら、このお話の中から何か一つでも役立つことがあれば有難いです。
真実の聖者と云われる仏弟子は、諸天からも一目置かれる存在なのですね。
この続きは長くなりますので、来月にと考えています。
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