生きることのみ考えては修行は出来ない(平成30年11月分法話)

昔、町から遠く離れた山中に、

5人の修行者が籠って修行に励んでいた。

彼らは朝早く山を出て、町に下って乞食(こつじき)をし、

山に戻ればもう夜になるのが常であった。

それも、遠い道を往復するので、疲れもはなはだしく、

帰ってからは、座禅して瞑想に入ることはとても出来ず、

疲れのために、眠ってしまう。

こんな状態が幾年も続いたので、

彼らは何の悟りも得ることが出来なかった。

お釈迦様は、

5人の修行者が、いたずらに労して得るところのないのを

哀れに思われて、

1人の僧に姿を変えて、彼らのもとを訪れられ、

「あなた方は静かな山林に隠居して修行されておいでだが、

別段、お疲れもありませんか」

「ありがとう存じます。

私どもはこの山中に籠っていますが、

あまりにも町が遠いので、

この身を養う食べ物を得るために、

日々の行食に疲れてしまって、

長年の間、ただ奔走に疲れるのみで、

何の得る処もございません。

実際、朝早くここを出て、

日の暮れる頃に帰りますので、

修行の暇もないのです。

一生、こうして過ごすのかと思えば、

悲しゅうございます」

「それは、

あなた方の根本の考えが違っているのです。

道を得るには、

おきてを守り、身をおさめ、心をおさめて修行しなければ何にもなりません。

そして、外形を卑(いや)しめ、内心を尊び、身命を捨て、

必ず仏と成れるという心を持つならば、

初めてその行を満足するのです。

身体を愛し、感情に順じ、食をむさぼるようでは、

とうてい苦を免れることが出来ない。

どうか、皆さんは明日乞食(こつじき)にお出でになされず、

1日、お休みなさい。

この私が、明日の食べ物を供養してしんぜますほどに」

5人の修行者は大いに喜んで、安心し、

座禅を組んで瞑想にふけることが出来た。

彼らは、それによって、

今まで味わったことのない、

心の安らぎと、身体の休養を得ることが出来た。

時に、食べ物を与えられた僧は、

やがて光り輝く仏身にもどって、

重ねて彼らのために説法された。

それがために、

聞き入る彼らはやがて、アラカンの修行を積んだということである。

(仏教説話文学全集から)

 ☆ ☆

仏教の修行者の在り様を教えておられます。

人は、食べなければ生き続けることが出来ません。

食べ物は大事です。

しかし、それ以上に大事なことは、

必ず仏となれるという心を持ち、仏に成るための修行をすることだと。

考え違いをしないようにと。

そして、その修行僧達が、修行に専念できるように、

食べ物などのお布施をすることで、

お布施された方の功徳(くどく)になると言われています。


中山身語正宗覚弘院

中山身語正宗(なかやま・しんごしょうしゅう)覚弘院(かっこういん)のホームページです。住職は69才の男性です。このホームページを通して少しでも中山身語正宗 覚弘院を知っていただければ有難いと思います。