世にも恐ろしい傷は憂いである(平成30年9月法話)
昔、城から百キロ以上の所に、
峰高く、谷深く、険しい大山があった。
大山には、500人の盗賊団が住んで、
道行く人を脅かし、狼藉の限りを尽くしていた。
国王も、盗賊達を捕らえようとするが、
地形に明るい盗賊達を捕らえることが出来ないでいた。
その頃、お釈迦様はこの国におられ、
多くの人が害をこうむるのを憐れみ、
また盗賊達が、罪悪や幸福の因縁を知らず、
目あれど、如来を見ず、
耳あれども、仏の教えを聞かないのを哀れに思われ、
「彼らは深い淵に沈んだ石のように、
浮かぶ瀬のない哀れな者どもである。
私が行って、教化してやらねば」と思われ、
仏はその身に美衣をまとった一人の男に姿を変えられ、
馬に乗り、剣をつけ、手に弓や矢を持ち、
金銀の鞍や、宝石の垂絡で馬を飾り、
大山に向かって、登って行かれた。
盗賊達は、それを見て大いに喜び、
一斉に取り巻いて、争って珠玉や財宝を奪い取ろうとした。
騎馬の男は、盗賊達を静かに見ていたが、
やがて、手にした矢を放った。
すると不思議なことに、
弓を離れたただ1本の矢は、500本となって、
500人の盗賊に、各々に命中した。
また、刀を振り上げて盗賊に切りつけると、
500人の盗賊達は、全て傷つき、
傷は重く、矢は深かった。
盗賊達は皆その痛みに耐えかねて、地に倒れ、
「何という恐るべき、神のような力でしょう。
どうぞ、お許し願います。
命だけはお助け下さい。
この矢を抜いて下さい。
そして、早くこの苦しみをお救い下さい」
と許しを乞うた。
騎馬の男は、彼らの訴えを聞いて言った。
「それくらいの傷は、痛いというほどではない。
それくらいの矢は深いことはない。
世に恐ろしい傷は、憂(うれ)いだ。
天下最大の悪い矢は、愚(ぐ)だ。
お前たちは、欲のために常に憂い、苦しみ、
果ては愚かにも、殺生を常に行っている。
そういうことでは、その刀の傷も、矢の毒も、
とうてい治癒することは出来まい。
貪欲と摂政の2事は、この根源がはなはだ深くて、
勇士壮士といえども、
容易に抜くことは出来ないものだ。
ただ、戒めを守り、
賢くさとくなるよう努めることによってのみ、
この心の病を除くことが出来るのである」
かく、説き終わると騎馬の男は、
たちまち温和な打ち解けた顔になって、
金色まばゆい仏身となられた。
500人の盗賊達は、頭を地にひれ伏して、
心から仏の教えに従い、過ちを悔い改めた。
そこで、刀の傷や毒矢も自然に治り、
心身ともに、心の安らぎを得て、
大いに喜んだ。
そして彼らは、仏の授けられた5つの戒めを守ったので、
国の人々も安心して生活を楽しむことが出来た、
ということである。
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
私達は、痛みや病気には大いに反応しますが、
自分の三業(さんごう、体、言葉、思い)の結果には反応が薄いように思います。
お釈迦様は、痛みや病気よりも自分の三業の在り様が大事だと言われます。
痛みや病気に比べて、
三業の結果はそれ以上に厳しいものです。
そのことをぜひ知っていただきたいと思います。
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