アジャセ王の改悟・続(令和元年12月法話)
アジャセ王のために、お釈迦様は「月愛三昧」に入られ、仏はやがて大光明を放たれた。
その光は涼味にあふれ、アジャセ王の身辺を照らしたかと思うと、王の出来物は即座に癒えて、毒も消え失せた。
アジャセ王は「ギバよ。仏も私の身を心配して下さるのか」
「大王よ。それは言うまでもありません。
例えば、7人の子供がいて、その中の1人が病気にかかった時は、
父母の子に対する愛は平等であるべきですが、病児に対してはひとしおの心遣いをするものです。
仏様に於きましても同様でありまして、
生きとし生ける全てのものに対しては、平等に愛撫されるのですが、罪業の深い者に対しては特に心をかけられるのであります」
するとアジャセ王は、
「聞く所によると、仏は悪人とは言葉を交わさないということだ。して見れば、私には訪ねる資格はないのだ。
私がもし仏の姿を見ることが出来たとしても、その瞬間に、私は大地の底へ没入するのではなかろうか。
こう考えているのだから、何と言われても仏をお訪ねする心になれないのだ。」。
「大王よ。渇きし人は清泉に走り、飢えたる者は食を求め、病人は医者を求めるように、大王の仏を求める態度も、その様にあるべきだと存じます。
仏様はセンダイという仏法をそしり、因果の道を信じない者のためにすら説法なさるのであります。
いわんや、そんな彼らと同じでない大王が、慈悲の救いをこうむる事が出来ない訳がないではありませんか。
仏様は、あらゆる人々の病気を的確に診断して、何人にも仏の正法が多くの人々の苦しみを癒してくれる法薬を施しておられます。
しかし、ある患者がその与えられた法薬を飲まないとしても、それは仏様の罪ではありません」
「ギバよ。仏がそういう慈悲者であるならば、よい日を選んでお訪ねするとしよう」
「大王よ。仏法には良い日も吉い星もございません。
重病の患者は、日の善悪や、時節の吉凶を選ぶまでもなく、ただ一刻も早く名医を求めるでありましょう。
大王もまた重病者であります。いまは仏という名医を求めておいでになるのであります。
良時好日などと言っておられる時ではありません。
もし、仏の許へ至れば、いずれにしても罪業を消滅するのであります。
明日と言わず、直ちに一刻も早くお出でを願いたく存じます」
この時、お釈迦様は大衆に告げられた。
「生きとし生けるものの、煩悩のない悟りに近づく因縁は、善い友が第一だ。
アジャセ王にしても、もしもギバの言葉に従わなければ、来月の7日には必ず寿命が尽きて、無間地獄(むげんじごく)に堕ちるところであったのだ。
ところが、ギバという善い友があった為に、地獄の苦しみから救われて、悟りの道に近づくことが出来たのである」と。
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仏様のご加護を頂いて、良かったと思う場合もあろうかと思います。
しかし、それだけで終わってはいけない。仏様の許に行き、お会いすることが大事だと言われます。
そして、仏様から教えを説いて頂き、教えのままに実行することが大事だと。
その為には、仏縁ある善い友を持つことが大事だと言われます。
私達は、自分の友を選ぶことが出来ます。その時に、仏縁ある善い友を選んで頂きたいと思います。
しかし、お釈迦様は今現在おられないと言われる方もおられると思います。
たしかに肉身を持つお釈迦さまはおられませんが、お釈迦様は仏様です。仏様は自由自在、私達の頭脳を超えています。
仏様を信じて、仏様の許(お寺など)にお参りし、教えて下さいと念じていけば、色々な形で教えて頂けると思います。
仏縁は、私達の罪業を消滅する方法を示して、私達を幸せに導いて下さると思います。
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