あふれ出る知恵を板金で防いだ男(平成31年2月法話)

昔、国内第1の知恵者とうぬぼれ、

500人の弟子を持つサッシャニケンという長老のバラモンがいた。

彼は天下を愚弄して、

常に腹部に板金を締め、胸を張って歩いていた。

人がその理由を彼に聞くと、得意になって、

「知恵が溢れ出ると、困るからな」と言うのである。

お釈迦様が出世されて、広く世の人々を教化されているのを聞いて、

彼は心に嫉妬と不安をとを感じて、弟子に向かって、

「この頃、ゴータマという坊さんが、仏と自称しているそうである。

私は彼の所へ行って、

深く精微なる道理の法義を問い、

彼に答え得ないほどの屈辱を与えたいと思う」と言って、

弟子達を引き連れて、仏のおられる祇園精舎に向かって、その門前に達した。

しかし彼ははるかに、仏の冒し難い光り輝くお姿を拝して、

歓喜と危惧に、その心がわなわなと震え、

思わず彼は進んで仏を礼し、座を与えられて座ると

彼はお釈迦様に矢継ぎ早に尋ねた。

「道とは何です。知とは何です。長老とは何です。正しいとは何です。

善を修め悪をとどめる人とは何です。修行者とは何です。

仁明とは何です。何を正しい道に適したものと言いますか。

何を奉戒といいますか。

速やかに私の問いに答えられれば、あなたのお弟子となりましょう」

仏は、老バラモンの問いを聞いて、静かに偈をもって答えられた。

「賢くさとく学を好み、心を正しく修行し、

宝の知恵を抱くこれこそ、まことの道というべけれ。

弁舌あるも知者ならず、恐れることなくひたすらに、

善を守る人をこそ、まことに知者というべけれ。

年老いたるが長老ならず、いたずらに老いて髪白き、

多くは愚者のたぐいのみ、心に真理を懐きつつ、

仁慈深くおだやかに、聡明で理にさとく浄潔なる、これぞ真の長老なる。

花に似たらん顔色も、正しきものと言いがたし。

貧嫉にして虚飾多きは、言行に違背あり。

悪の根源断ち切りて、知恵あって怒りなき、これぞ真の端正なる。

髪落としたる僧にあらず、妄語を吐かず貪取せず、悪を止め道を進め、

心静かに歩みて安らけき、これこそ僧というべけれ。

物乞い食うが修行者にあらず、邪行を捨てて名利を忘れ、悪業を断ち浄行を修し、

知恵明らかに悪を破す。これこそ修行者というなれ。

口には言えど心には、不浄のあれば外もまた、仁明の浄あることなし。

心に無為に行は清く、内外ともに寂滅なる、これぞまことの仁明なる。

あまねく天下のものを救い、広く愛してそこなうなき、これぞ真の有道なる。

よく法を持つものは、みだりに多言を費やさず、

広く聞かず学ばねど、身に持つこと堅固にて、

道を守りて失わぬ、これぞまことの奉戒なる」

サッシャニケンおよび弟子500人は、仏の教えを聞いて大いに感激してよろこび、

あの高慢な心も今は消えて、まことの僧となった。

(仏教説話文学全集から)

 ☆ ☆

私達僧侶にとって、大事な一文だと思います。

僧侶に限らず、誰にとっても参考になる箇所はあると思います。

今、参考になる箇所もあれば、先々で参考になることもあると思います。

私達が間違える理由は「無知であること」だとも言われます。

お釈迦様や、先人の言葉を学ぶことで、少しでも間違い少なく、苦しみ少なくなる様に願っています。

中山身語正宗覚弘院

中山身語正宗(なかやま・しんごしょうしゅう)覚弘院(かっこういん)のホームページです。住職は69才の男性です。このホームページを通して少しでも中山身語正宗 覚弘院を知っていただければ有難いと思います。