維摩経から(令和2年9月法話)
先月は、一般の人々が維摩居士の見舞いに行かれました。
今月は、そのお見舞いにお釈迦様のお弟子から、誰が行くかの人選をいたします。
先ず最初に指名をされたのが、十大弟子の中でも「知恵第一」と言われる舎利弗でした。
舎利弗は「般若心経」にも名前が出てくるほどの高僧です。
しかし舎利弗は、維摩居士の許に見舞いに行くことを断ります。
その理由を、舎利弗はお釈迦様に申し上げます。
「恥を申さねば分かりませんが、
かつて私が山林の奥深い谷に隠れて身心の修行をしようと、座禅しておりますと、
そこに維摩居士が参りまして、
『舎利弗よ。山林に世を逃れて閑居して精神修養するのを座禅とばかり考えていてはならない。
大乗(だいじょう)至極の深い理(ことわり)というものは、あらゆる場所すべて空(くう)である。
彼此(ひし)の相対を認めないところに価値があるのだ。
君のように全てのものに存在を認めていては、せっかく静かな山林に閉じこもっていても、
とうてい君は心が散って、その心から離れることは出来ませんよ』と、
私の修行を責めたことがございます。
ですから、また責められるかと思いますので」
お釈迦様は話を聞いて、別のお弟子様を維摩居士の見舞いに行かせることにしました。
☆ ☆
これから維摩居士の見舞いに行く人選が始まるのですが、実は最後の1人を除いて多くの人が断ります。
維摩居士の素晴らしさが説かれていると共に、私達の学びがそこにはあります。
今月の学びは「空(くう)」です。
空とは、何もないということではありません。
空は私達に「縁起」を教えるものです。
「こだわり」を捨てなさい。そのためにも修行をしなさい、と言われていると思います。
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