維摩経から(令和2年8月法話)

お釈迦様のお弟子の中に、出家していないけれども、皆様から一目も、二目も置かれていた維摩(ゆいま)居士(こじ)という方がおられました。

その方の事を書かれてある「維摩経」からお話をさせて頂きます。

ある時、維摩(ゆいま)居士(こじ)は人々を導くために病気にかかり、病床にいました。

当然、皆様お見舞いに来られます。その時のやり取りが勉強になります。

最初は、国王や大臣、富豪やバラモン達が見舞客です。

彼らに対して、維摩居士は次のように説いていきます。

「病気見舞い、感謝いたします。

だが諸君、人間の体というものは、いつまでも生き延びられるものではありません。永久ではありません。

強くもなく、力もなく、堅固でもないから、いつかは朽ちすたれます。

そんな頼りない、この肉体に執着してはいけない。

我らの肉体は、あたかもアワの集まりの様なものでもあり、業縁(ごうえん)から現れた一つの影の様なものです。

浮き雲のように、たちまち変化し、消滅し、しばらく止まるものでない。

また、この体にはこれを支配する我(が)というものもなく、寿もなく、知もなく、不浄なものばかりで満たされている。

と言うべき肉体なのだ。

諸君は、こんな穢れた、そして浮き雲のような頼りない肉体に執着せずに、

もっと永久的な、常に生命と光栄とを持っている仏の身を願ったほうが良い」と。

(仏教説話文学全集から)

☆  ☆

私達の体は永遠のものではないから、仏の体を願うがよい、と言われます。

2000年以上前の考えですが、言葉こそ違え、今の私達の常識と同じです。

肉体はアワ(細胞)の集まりで、変化し消滅する、と。

(例えば、赤ん坊の時の自分と、老人になった時の自分の細胞で、同じものがあるでしょうか)

その常識から、考えを展開させたのが、仏教です。

私達凡人は、「それが・・・?」と考えを展開させません。

しかし仏様は、今私達が人間として生まれ、仏様とのご縁に恵まれたなら、真実に幸せになってもらいたいと願われます。

その仏様の願いを、維摩居士が一般人に向けて説かれたくだりになります。

中山身語正宗覚弘院

中山身語正宗(なかやま・しんごしょうしゅう)覚弘院(かっこういん)のホームページです。住職は69才の男性です。このホームページを通して少しでも中山身語正宗 覚弘院を知っていただければ有難いと思います。