生老病死ということ(令和2年3月法話)
昔ある時、お釈迦様は迦葉(かしょう)に対して、
『人間としてこの世に生まれて来れば、生老病死の四つの苦しみから逃れることは出来ない』という四苦について説法されていた。
「生まれるという事がなければ、老いるという苦しみも、病気になるという苦しみも、死ぬという苦しみもないのだから、
生まれることは、苦の根本であり、第一歩である。
それ故、生活は四苦の第一歩である。
ただし、生と死は人間世界だけでなく、天上の世界にも仏の世界にもあって、あらゆる世界に共通であるが、
衰・老の二つは必ずしもそうではない。仏や諸天の世界には定まってこの二つの苦はない。
人間の世界に於いても、衰・老は不定であって、多くの者は免れないけれども、中には全然なくてすむ者も見受ける。
ただ、世間の人々は間違った考えから、生(せい)に執着して、老死を嫌うのが普通である。
しかし菩薩は、生まれることを見ると、直ちに過患の必然を知っている。」
「昔ある時、絶世の美女が瓔珞で身を飾り、清らかで美しい姿をして、ある家へ行った。
その家の主人は驚き、目を見張って、心に天女の降臨かと喜んだ。その美女が言うには、
『私の行く所は、金・銀等の財宝や、象や馬、車など、何でも自由に与えるのです』と。
聞いた主人の心の中は、いやが上にも喜び、福の神のご入来というので、早速色々の供養物を捧げて、丁寧に礼拝した。
『私は常に福徳を積んでいますから、本日あなたがお出で下さったと存じます』
その内、門からまた一人の婦人が入って来た。
その女は、功徳天女と違ってふた目と見られない醜い女で、その衣装は粗末で下品で、塵や垢にまみれているばかりか、何とも形容のしようもない醜い女である。
主人は驚き、あきれて、すぐには言葉さえ出なかった。
『お前は、どこの、何という者か?』
『私は黒闇(こくあん)という者です』
『何故、黒闇なんて変な名前を付けたのか?』
『私の行く所は、その家のあらゆる財産をことごとく亡くするからであります』
すると主人は刀を抜いて、退去を命じた。するとその女は、
『先ほど、こちらへ伺いました婦人は私の姉であります。
私は何事も姉と行動を共にしているのです。もし強いて私を追い出すならば、姉の天女を追い出すことになりますよ』
主人は訳が分からず、功徳天女に聞いてみることにした。
『私たち姉妹は、何事でも行動を共にしておりまして、いかなる場合にも、離れずにいるのであります。
そして姉の私は善事をいたしますし、妹の黒闇は悪事をすることに決まっているのであります。
もしも私を愛して下さるなら、妹も愛して頂きたいと思います』
『姉は与えて、妹は奪う。姉は福の神で、妹は貧乏神。
しかも愛するなら一緒と言われては、何ともしようがない。
私には何の用もないから、あなた方は自由に出て行ってもらおう』
美醜の姉妹は、主人の要求によって相携えて出て行った。
美醜の姉妹は、今度はある貧家を訪れた。その家の主人は喜んで二人を迎えた。
その理由を尋ねられた主人は、
『別にどうという訳もありませんが、あなた方が私を思って下さるからです』と。
この功徳天女は『生(せい)』に、黒闇女は『死』に喩えたのである。
凡夫愚人の者は、生を喜んでこれに執着するけれど、
その生から起こり来る死に対しては極度に憎んでいる。
生を喜んで、死を退ける心が、やがて生死を受けることになるのである。
しかし菩薩は、生あれば必ず老病死のあることをよく知っておられるから、
生死に対して、きわめて無関心であり、淡白である」と。(つづく)
(仏教説話文学全集から)
☆ ☆
生老病死の中の『死』に関するお釈迦様のお話です。
生あれば必ず死がある。幸せあれば不幸せがある、と。
自分の都合がよいようには出来ないのだという事を教えて頂いています。
その中でも、人間として生まれ、仏教のご縁を頂けたということは、とても幸せなことです。
それは、物事の道理を知って理解し、幸せへの道を歩むチャンスを得たからです。
これは、何にもまして素晴らしいことなのです。このチャンスを逃さないようにしたいものだと思います。
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